諫言(かんげん)、意味はもちろん読める人も少なくなってきた言葉である。
もともと諫言の由来は、中国で君主を諌める言葉で、
君主の一方的な意志を是正する考えのもと生まれた。
なのに習近平総書記やプーチン大統領に諫言する人がいるのだろうか?
日本でも武士道の中にその精神は育まれてきた。
今の日本の政権に豊臣秀吉や黒田官兵衛はいるのだろうか?
歴代首相から頼りにされた後藤田正晴のような人は平成の時代には現れないのだろうか?
目の上の人に忠告や反対意見が言えるか?
ただ言うだけでなく説得できるか?
トップはその諫言に耳を傾けれるだけの度量があるか。
トップたるもの先を見越しての英断、決断は絶対条件だが、
過ぎてくると独裁者に近づいてくるものである。
情報コントロールしようとする政権、御用化するマスメディア、
おかしいと気づいても諫言出来る人材が居ないのが
今の日本を物語っているような気がする。
裸の王様だけはなりたくないと思っている昨今である。