農耕民族は喰いぶちを減らすために年老いた肉親を山に捨て、
遊牧民族は足手まといになった老人を道路に置き去りにしたりする風習は、
世界各国にあったであろうことは想像もつくし本でも読んだことがある。

老人病院で人生の終わりに近付いた母親に毎日会いに行っていた頃、
そこでの家族の風景に心痛めることが度々であった。

一年間一回も顔を出さない家族がいかに多いかも知らされた。
意識もなく言葉も交わせないのだから会っても意味がないと考えるのか、
様々な事情もあるのだろうが...

亡くなるその瞬間まで感情があることも体験した。
私はその時、「涙を流しながら年老いた母親を背負って姥捨て山に歩いて行った息子」の
愛を改めて感じたものである。

65歳から高齢者、75歳から後期高齢者、
肉体的に危険な谷間は統計的にも75~79歳までの5年間である。
その坂を登った傘寿の祝いは貴重なものである。

そこからは人の都合で生かす行為はしないでいいのである。
自然体が一番いい。
いつ天国に召されても、そこはご光さす夢のような世界なのだから、
祝って送り出すような習慣にしたいものである。