結局“学ぶ”ということは、
学ぼうという謙虚な努力と、
無心の素直さがないと学べるものではない。

打算ではなかなか本物や真実には出会えない。
「教え」はどこのあるのか?

「三歩下がって師の陰を踏まず」のとおり、
その三歩の距離の“間”にあるような気がする。

素直な人は長生きできる。
学ぶ心のある人は元気でいられる。